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吉祥寺の歴史

参考文献
(※1)「鈴木育男写真集うつりゆく吉祥寺(ぶんしん出版)」参照
(※2)「井の頭公園100年写真集(ぶんしん出版)」参照
(※3)吉祥寺の杜・宮本小路公園看板「吉祥寺村のはじまり」参照
(※4)武蔵野市公式サイト「武蔵野市歴史年表」参照


・1657年(明暦3年)
江戸で大きな火事(明暦の大火)発生。本郷元町(現在の水道橋の北側)にあった「吉祥寺」という大きなお寺や門前の人たちの家も焼けてしまう(※3)

・1658年(明暦4年)
再び大火があり、江戸の半分以上が焼失。このときも「吉祥寺」は焼け、門前の人たちも焼き出される。「吉祥寺」を駒込の本郷本富士町に移し、門前の人たちには江戸から離れた野原の広がる牟札野(現吉祥寺)に土地が与えられる。これにより、駒込の名手松井氏、浪士佐藤氏、旗本宮崎氏は五日市街道沿いに移住。その西隣りには江戸の西の窪の城下町の井野氏が入植(※3)

・1659年(万治2年)
移住が始まる。五日市街道を挟んで両側に20間(約36m)、奥行き634間(約1140m)の同じ形の土地が分け与えられる(※3)

・1661年(寛文元年)
巨深繋芸大和尚が東岸寺(現・月窓寺)を現在地に移して小宇を建立。師の洞厳龍雲大和尚を勧請して開山とし、自らを2世とする(月窓寺史・令和元年12月発行号参照)

・1889年(明治22年)
吉祥寺、西荻、関前、境の4か村が合併し、武蔵野村となる。(月窓寺史・令和元年12月発行号参照)
人口3,089人になる(※4)

・1899年(明治32年)12月
甲武鉄道・吉祥寺駅開業(※1)

・1902年(明治35年)
藤村学園の前身である東京女子体操音楽学校が開校(※4)

・1906年(明治39年)10月
甲武鉄道の国有化により吉祥寺駅が国有鉄道(国鉄)の駅となる(※1)

・1917年(大正6年)
井の頭恩賜公園(以後、井の頭公園)開園(※1)

「近代日本経済の父」で教育や社会事業にも尽くした渋沢栄一と、その娘婿であり当時の東京市長の阪谷芳郎と、後に「公園の井下」と呼ばれた東京市職員の井下清の3人の行動力が公園の誕生に大きく寄与したといわれています。

・郊外公園実現の一つに井之頭学校の存在と井下清の進言
渋沢栄一は、実業界引退後に教育や社会公共事業にも広く尽力しましたが、その一つ、現在の井の頭自然文化園の敷地にあった、非行少年更生施設の井之頭学校の校長を務めていました。その井之頭学校が殺風景なため庭造りを依頼されたのが、東京市職員の井下清です。井下は、渋沢に案内された井の頭の景観を見て、この井の頭の池と森を東京市民の公園にすることと、そうなれば学校の卒業生もここで働けることを進言したと言われています。その後、明治からの公園構想の流れもあり、発言力のある渋沢は、娘婿である東京市長の阪谷芳郎とともに宮内省や東京市議会に実現のために働きかけたと考えられます。そして1913年(大正2年)10月21日東京市の本会議に「郊外公園設置ニ関スル件」が提出され議決されました。
(※2)

・1921年(大正10年)8月
井の頭池の池尻に約91mの児童用徒渉池が開場。東京市初のプールの誕生(※2)

・1923年(大正12年)
関東大震災後、東京市内から武蔵野村に移住者が増え、農村から近郊都市へと発展(※4)
そば処「やぶ浅」創業(公式サイト参照)。そば処「中清」創業(公式サイト参照)

・1924年(大正13年)4月
井の頭弁財天焼失(※2)

・1927年(昭和2年)
井の頭弁財天再建(※2)

・1928年(昭和3年)
人口1万3,000人となり町制施行(※4)
焼き鳥の「いせや」創業(公式サイト参照)

・1929年(昭和4年)
井の頭池にボート場開場(※2)

・1930年(昭和5年)
横河電機が渋谷から移転(※4)
井の頭弁財天参道入口前に昆虫陳列館「平山博物館」開館。平山氏の著書「原色千種昆虫図譜」に「オサムシ」を見つけペンネームにした手塚治虫も、少年時代に兵庫県宝塚から訪問している(※2)

・1933年(昭和8年)
井の頭公園内の従来の天然プールを廃止し、井の頭池の右岸にコンクリート製のプール(25m×15m)と幼児用のプールを開設。帝都電鉄(現・京王電鉄井の頭線)渋谷から井の頭公園開通(※2)

・1934年(昭和9年)
井の頭公園に小動物園(現・井の頭自然文化園)完成。4月:帝都電鉄(現・京王電鉄井の頭線)吉祥寺駅開業(※1)

・1936年(昭和11年)5月
小動物園(現・井の頭自然文化園)に日本初の淡水専門水族館「水生物館」開館(※2)

・1937年(昭和12年)
吉祥寺に前進座演劇映画研究所が設立される(※4)

・1938年(昭和13年)
中島飛行機武蔵野製作所が開設され、軍需産業都市に変貌(※4)

・1944年(昭和19年)
武蔵野市役所西側にあった旧中島飛行機武蔵製作所がアメリカのB29に爆撃される(※1)
昭和19年から昭和20年の終戦まで、同製作所は10回前後も米軍の爆撃を受けて全滅。民家も被災(※4)

・1945年(昭和20年)
8月15日太平洋戦争終結
現・ダイヤ街にある魚肉練り製品の専門店、塚田水産創業(公式サイト参照)

・1946年(昭和21年)頃
ハモニカ横丁誕生(※1)

・1947年(昭和22年)11月
武蔵野町から武蔵野市へ。市制施行、人口6万3,000人。初代市長に、4月に町長に当選していた荒井源吉就任(昭和38年4月まで)。初の市議会開会(※4)

・1948年(昭和23年)
メンチカツが人気で行列の絶えない現・ダイヤ街の「さとう」創業(公式サイト参照)

・1951年(昭和26年)11月19日
羊羹と最中が人気の現・ダイヤ街にある和菓子店「小ざさ(おざさ)」創業(「1坪の奇跡―40年以上行列がとぎれない 吉祥寺「小ざさ」味と仕事」ダイヤモンド社参照)
ハモニカ横丁にあるラーメン店「珍来亭」創業(公式Twitter参照)

・1953年(昭和28年)
仲町銀座(現・ダイヤ街)オープン(※1)。井の頭公園カーニバルが開催され「ミス井の頭コンテスト」「井の頭音頭コンクール」「井の頭花火大会」などがあった。その後、1955年まで3年間開催。井の頭自然文化園に子供の遊戯施設場「スポーツランド」開設(※2)

・1954年(昭和29年)
井の頭自然文化園に象舎完成。アジアゾウはな子が来園(※2)

・1956年(昭和31年)
井の頭公園内に井の頭音楽堂(野外ステージ)完成(※2)

・1958年(昭和33年)
井の頭自然文化園に北村西望の彫刻園1号館開館。長崎市平和公園に設置する大きな平和祈念像制作のため、北村氏が広い土地を探していたところ、東京都と相談して建設(※2)

・1959年(昭和34年)
吉祥寺初の大型店舗「吉祥寺名店会館」開業(※1)

・1960年(昭和35年)
丸井が吉祥寺に出店。現在の場所には1978年9月に移転(※1)

・1962年(昭和37年)1月
井の頭自然文化園に熱帯鳥温室完成。熱帯の植物と鳥類を同時に展示。2013年(平成25年)6月には老朽化と建築基準法に合わなくなったことから閉館(※2)

・1969年(昭和44年)4月
高架駅完成。12月:高架下に吉祥寺ステーションビル「吉祥寺ロンロン」開業(※1)

・1970年(昭和45年)11月
南口に「ターミナルエコー」開業。その後ユザワヤ吉祥寺店を経てキラリナ京王吉祥寺に(※1)

・1971年(昭和46年)11月
サンロードの初代アーケード完成。同じく11月:現・コピス周辺である東京女子体育短期大学の借地権を武蔵野市が購入し、誘致していた伊勢丹が開業(※1)

・1974年(昭和49年)
「東急チェリーナード」(現・ダイヤ街)完成。ダイヤ街は戦前は「七号通り(しちごうどおり)」と呼ばれ、1964年(昭和39年)頃は「仲道通り(なかちょうどおり)」と呼ばれていた(※1)

・1974年(昭和49年)6月
吉祥寺名店会館跡地に東急百貨店吉祥寺店完成(※1)

・1975年(昭和50年)
ジャズクラブSOMETIME開店(公式サイト参照)

・1976年(昭和51年)
喫茶店ゆりあぺむぺる開店(公式サイト参照)

・1979年(昭和54年)
喫茶店くぐつ草開店(公式サイト参照)

・1980年(昭和55年)
パルコが吉祥寺に出店(※1)

・1982年(昭和56年)
武蔵野珈琲店開店(公式サイト参照)

・1985年(昭和60年)
井の頭公園内のコンクリート製プール撤去(現在は日本庭園になっている)。西園北側に新たに水泳場完成(※2)
茶房・武蔵野文庫開店(公式サイト参照)
武蔵野文庫が営業するビルにスタジオジブリ設立される。この頃「天空の城ラピュタ」が制作される

・1987年(昭和62年)
3月:北口駅前広場が完成。4月:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる(※1)
5月11日:吉祥寺第一ホテル開業。1952年に東京・青山の神宮外苑脇で誕生した日本初の民間ボウリング場「東京ボウリングセンター」も、吉祥寺第一ホテルの開業と共にホテル内に移転(吉祥寺第一ホテル公式サイト参照)
11月:武蔵野市の人口13万6000人に(※4)

・1995年(平成7年)3月
コミュニティFM局「むさしのFM」開局(※4)

・2001年(平成13年)
三鷹の森ジブリ美術館開館(※2)

・2002年(平成14年)
井の頭公園西園北側の水泳場が閉場(※2)

・2004年(平成16年)4月
吉祥寺駅周辺に路上禁煙地区指定(※4)

・2005年(平成17年)5月
吉祥寺シアター開館(※4)

・2008年(平成20年)
サジロカフェ開店(店舗看板に記載)

・2009年(平成21年)
新アーケードが完成し、現在のダイヤ街の姿に(※1)

・2010年(平成22年)
3月:伊勢丹が撤退。4月:吉祥寺ロンロンが「アトレ吉祥寺」に改称。10月:伊勢丹跡にコピス吉祥寺オープン(※1)

・2013年(平成25年)5月
武蔵野市の人口14万人を突破(※4)

・2014年(平成26年)4月
新京王吉祥寺駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」開業(※1)

・2014年(平成26年)
5月:バウスシアター(ムサシノ映画劇場)閉店。10月:ユニクロ吉祥寺店オープン(※1)

・2016年(平成28年)5月26日
井の頭自然文化園のゾウのはな子が69歳で死亡(※2)

・2017年(平成29年)5月
アジアゾウはな子の銅像設置(※4)

・2018年(平成30年)12月14日
吉祥寺PARCO・B2Fに映画館アップリンク(UPLINK)がオープン

・2020年(令和2年)3月11日
WHOが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がパンデミック(世界的な大流行)に至っているとの認識を示す

・2020年(令和2年)4月7日
新型コロナウイルスの感染拡大をうけて、緊急事態宣言が発令される
翌日から多くの飲食店が臨時休業し、夜のダイヤ街、サンロード商店街、ハモニカ横丁などが閑散とした状況になる

・2020年(令和2年)4月17日
夕方に武蔵野市職員たちが、サンロード商店街などで外出自粛を促す横断幕を広げて注意喚起

・2020年(令和2年)5月6日
フレンチレストラン芙葉亭(ふようてい)閉店

・2020年(令和2年)7月12日
レストラン葡萄屋閉店

・2021年(令和3年)
1月7日:菅義偉首相が2度目の新型コロナウイルスの緊急事態宣言を発令し、東京、神奈川、埼玉、千葉の飲食店を中心に午後8時までの営業時間短縮を要請
3月21日:首都圏の1都3県で緊急自体宣言解除。感染の再拡大を防ぐため、引き続き飲食店の営業時間短縮やテレワークの実施などを呼びかけ
4日23日:政府は3度目の新型コロナウイルスの緊急事態宣言を発令。東京、大阪、京都、兵庫の4都府県が該当。期間は4月25日から5月11日までの17日間。飲食店対策として酒類やカラオケを提供する店舗に休業を要請。酒類を提供しない店舗にも営業時間を午後8時までに短縮するよう要請
5月7日:東京、大阪、兵庫、京都の4都府県の緊急事態宣言について、5月11日の期限を5月31日まで延長し、愛知県と福岡県を5月12日から対象地域に加えることを決定
5月28日:東京や大阪など9都道府県に出されている緊急事態宣言について、政府は6月20日まで期限を延長することを決定

東京都は、まん延防止等重点措置に移行する6月21日から飲食店での酒の提供を認める一方、酒を提供する店に対しては、感染防止対策を担う責任者を「コロナ対策リーダー」として都に登録することや、利用を1グループ2人まで、滞在時間を90分までとするなどの制限を設けた

7日12日:政府は東京都に4度目となる緊急事態宣言を適用。期間は8月22日まで。7月23日に開幕する東京五輪の期間を含む。飲食店に酒類の提供停止と営業時間を午後8時までにするよう要請。
その後、9月30日まで期限延長。

10月1日:新型コロナウイルス対策で、政府は19都道府県の緊急事態宣言と8県のまん延防止等重点措置について、9月30日の期限をもってすべて解除。
宣言と重点措置がどの地域にも出されていない状況はおよそ半年ぶり。
飲食店の営業に対しては酒の提供を認めたうえで今後1か月をめどに、自治体などから感染対策の認証を受けた店舗は午後9時まで、それ以外の店舗は午後8時までを基本とする方針を決定。



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